第1回:かぐ・あじわう―ただそこにある自然を楽しむ―

※ 全4話の 1話目

はじめに

ダンゴムシを腕に伝わせる次男

糸島市、可也山のふもとにある一軒の古い民家。この家に移り住んだ年の春、誕生した次男が4月で3歳になった。
近所を歩くのが大好きな次男は、タンポポの綿毛を見つければ摘んでふーっと吹き、ダンゴムシを見つければ大事そうに手のひらを歩かせる。

ここに暮らしていると、子どもにとって自然は特別なものではないと実感する。
自然はいわば、ただそこにあるもの。
与えられたものではなく、ただそこにあるからこそ、子どもは魅力を感じ、主体的に楽しんでいると感じる。

つまみ食いをする

クサイチゴの実

春にクサイチゴの白い花が満開になると、わくわくする。
これらの白い花が、5月ごろにはみんな野いちごになるのだ。粒によって、甘かったり、酸っぱかったり、その味が少しずつ違う。
もうじき、庭や散歩道で毎日のように野いちごをつまみ食いする暮らしが始まる。

そんなつまみ食いを楽しめるのは、一時期に限ったことではない。
夏が近づけば、ヤマモモ、ビワ、そしてクワが実をつけ、小さなイチジクのようなイヌビワの実も熟す。
秋にはヤマノイモがたくさんのむかごをつけ、クリやシイの実が地上に落下する。ムベ(アケビの仲間)や、ケンポナシという一風変わった梨の味がする実を見つけることもある。
さらに、冬にはフユイチゴという野苺が赤い実をつける。イチジクのようなオオイタビの実も見つかる。

この辺りの自然を散策すれば、何かしらおやつが見つかるのだ。
わくわくするものが、すぐそこにたくさんある。

野草の天ぷらという幸せ

野草の天ぷら

つまみ食いができるだけではなく、食材になる野草も見つかる。
野草にはクセの強いものもあるが、種類や調理法によって、子どもでもおいしく食べられる。
たとえば草遊びで実をお米に見立てて“お赤飯ごっこ”に使われるイヌタデの実は、これでふりかけを作って本当のごはんにかけると、プチプチした食感も楽しめて、おいしい。

3月生まれの私は、誕生日に決まって野草の天ぷらを食べる。
天ぷらは、野草の美味しさを手軽に味わうにはとても良い。
ユキノシタ、ヨモギ、タラの芽などは確実においしいし、クセの強いものでも、天ぷらにすると意外と食べられる。
危険な毒草でさえなければ、身の回りのいろんな植物を天ぷらにしてみたいと思っている。

子どもは正直なので、おいしく感じないものを無理に食べることはしない。
そんな子どもが「おいしいおいしい」とパクパク食べるので、野草の天ぷらの美味しさは間違いないだろう。
高いお金を出して食べる料理もおいしいが、ただそこにある野草を摘んで、家族で食べるおいしさに、私は幸せを感じる。

においもただそこにある

庭池の底で育つセリ

おいしさは、味覚だけで感じるものではない。むしろ嗅覚が重要だ。
食べるときはもちろんだが、おいしい実や野草は、摘むときにも良い香りがする。
採集すること自体が楽しいのは、そうした香りの影響もあるだろう。

また、野草はなんでもかんでも食べて良いわけではなく、見た目のよく似た毒草を見分けなければならない。特に、春の芽生えの時期は、毒草との見分けがむずかしい。
そのときにも、においが鍵になることがある。

たとえば、セリという野草のスーッとした香り。
ドクゼリやムラサキケマンなどの、セリの仲間に似た毒草には、こうしたセリ特有の香りがない。
なので、こうしたセリの仲間特有の香りを知っていると、毒草と見分けるときに実用的である。

また、においは意識的に感じるばかりではない。むしろたいていは、いつのまにか感じている。
たとえば、普段歩いていて道のにおいを意識することは少ないかもしれないが、ここであえて意識してみよう。

晴れの日のにおい。
雨の日のにおい。
森のにおい。
海のにおい。
田んぼのにおい。

においもまた、ただそこにあるものである。
それぞれの場面で、それぞれのにおいがあり、においを感じることで、世界が彩り豊かになっていく。

カタツムリの「環世界」

ツクシマイマイというかたつむり

ところで、私はカタツムリという生きものが好きである。

カタツムリはゆっくりと歩みを進めるが、あまり目が良くない。
4本のツノ(触角)があり、そのうち大きな2本のツノの先に眼点、つまり目がある。
目と言っても、光の明るさや暗さがわかる程度で、人間のように遠くの物の色や形、質感がわかるわけではない。あくまで、ツノで触れて、ツノでにおいを感じることで、身の回りの世界を知覚している。

同じ出来事でも感じ方が一人一人異なるように、世界の見え方も、生きものの種類や個体によってさまざまである。
そうした、個々の生きものが自分の感覚で描く世界のことを、「環世界(かんせかい)」という。ユクスキュルというドイツの生物学者が提唱した概念である。

たとえば、カタツムリは触覚や嗅覚を中心に環世界を描いている。
それは視覚を中心に生きている人間とは、まったく異なる環世界なのだろう。

いくら想像しても想像しきれないものがあるが、においが世界の一部であることを、カタツムリが忘れることはないだろう。
一方、私たち人間はどうだろうか。

自然のにおいが心を支える

タンポポを持って歩く次男

私たちも無意識のうちに、においをかぎ、あじわいながら、環世界を描いている。
ただそこにある野草を摘み、家族で天ぷらを食べるおいしさに幸せを感じるのは、ただそれがおいしく、香りが良いからというだけではない。
そこでの感覚と感情を含めて、描いている環世界が魅力的なのである。
幸せな体験とともにあるにおいやあじわいだからこそ、それらは幸せなにおいであり、幸せなあじわいなのだ。

もっとも野草を食べるのは、ある程度の自然があって、植物の知識がないと難しいことかもしれない。
でも、都会でも自然のにおいを感じることはできる。

たとえば、地域にもよるが、街路樹や公園、社寺林などでクスノキを見かけることは多い。
落ちているクスノキの葉や枝を、ちょっとちぎったり折ったりして、においを感じてみよう。ただそこにあった木が、特別なものになるかもしれない。
クスノキは、リラックス効果があるとも言われる香りのある樹木だ。同じクスノキ科のシナモンや月桂樹の香りが好きな人は少なくないだろう。
ほかにも、特別な香りのする草や木は、すぐそばにあるだろう。
臭いと言われがちなドクダミのにおいだって、なんだか病みつきになる。

そうした体験を重ねることで、ただそこにある自然のにおいから、かつて描いた環世界がふっと心に浮かぶようになる。
それはやがて、その人の心を支えるものになると、私は本気で信じている。


三ツ矢青空たすき編集部より:野島さんのエッセイにはたくさんの植物の名前が登場します。全てご存じの方もいれば、一つもわからない方もいらっしゃるかもしれません。興味を持ったものの名前を調べることから自然との新しい接点がうまれるかもしれません。

なお、野草や植物を採取される際は、落ちているものを拾うことは構いませんが、私有地や公園・寺社などの植物を取ったり引き抜いたりして無断で持ち帰ることのないようにしてください。

野島さんから自然とのふれあい方を教わりたいなと思った皆様、キッズ向け体験としていつでも参加できる動画視聴体験があります!
https://mitsuya-aozoratasuki.asahiinryo.co.jp/exp/2085/

第2回:みる―見える世界のグラデーション―

語り部一覧

ネイチャーライター /
野島智司さん
ネイチャーライター、作家、かたつむり見習い。
糸島市を拠点に、身近な自然をテーマにした個人プロジェクト「マイマイ計画」のほか、自然と子どもによりそう場を開く「小さな脱線研究所」を主宰。糸島のフリースクール「NPO法人産の森学舎」「おとなとこどもの学校テトコト」で授業を担当するほか、筑紫女学園大学非常勤講師も務める。著書に「カタツムリの謎」(誠文堂新光社)などがある。新刊も鋭意執筆中。

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