第2回:「春の野花に出会う」

※ 2話目

春の暖かさを感じると思ったら、いつの間にか周囲は小さな花であふれている。

しゃがみ込んで「あ、顔になってる」とつぶやく3歳の次男。
思わず私も、しゃがみこむ。

顔に見えるオオイヌノフグリの花

 花は、不思議な存在である。
 誰しも、花を見てきれいだと思う。あるいは、かわいいと思う。けれど植物は、自分の花粉を運んでくれる生きもののために花をつけているだけだ。
 ミツバチなど、花粉を運ぶ虫にとって魅力的な色や形をしているだけなのに、どうして、私たち人間まで、それをきれいだと思うのだろう。心の奥底で、人と虫との間に通じ合うものがあるのだろうか。

 もし人と虫との間に共通する何かがあるのだとしたら、そうしたところにより近い存在が、こどもである。
 こどもも花が好きである。特に何を教えたわけでもないのに、花を摘んで集めていることはよくある。
 次男が母親の誕生日プレゼントにするために野花を集めて花束を作ったこともあった。野花の花束には、園芸用の花束では表現できないような、何とも言えない素朴なかわいらしさがある。

東京で見たシロツメクサの花冠

 シロツメクサを摘み、花冠を作った思い出のある人は少なくないだろう。花冠づくりは定番の自然遊びであり、東京に行ったときに、道端で写真のような花冠を見つけたこともある。誰が作ったのかは知らない。
 シロツメクサは在来の植物ではないのだが、現代でも自然なかたちで伝承されている自然遊びが花冠作りなのだとしたら、シロツメクサという存在には大きな価値を感じる。

 ほかにも草花を使った遊びはたくさんある。
 代表的なところでは、ナズナ(ぺんぺん草)を手でクルクル回してペチペチと音を出す遊びも楽しいし、オオバコの花茎を使って相撲をとったこともあるかもしれない。茎をひっかけて引っ張り合い、切れなかった方が勝ちという「草相撲」である。

 そうした自然遊びは、自然がなければ、あるいは自然と関わる機会がなければ、次第に消えていってしまう。

オオバコ

 

シロバナタンポポ

 私がこどものころから好きな花が、タンポポだった。
 タンポポも遊べる植物である。タンポポの花茎を使った遊びは多いが、ブーブーと音の鳴る笛にしたり、水車や風車を作ったりすることもできて楽しい。花の後にできる綿毛は、ふーと息を吹いて飛ばすだけでも、幸せな気持ちになる。

 なかでも特に好きだったのが、シロバナタンポポという白いタンポポ。道端で見かける黄色いタンポポの多くは、セイヨウタンポポやその雑種のタンポポだが、シロバナタンポポは日本在来のタンポポの一種である。
 かれこれ40年前になるだろうか、私の生まれた東京都田無市(現西東京市)の片隅に、よくシロバナタンポポが生えている場所があった。セイヨウタンポポは一年中咲いているが、シロバナタンポポは特定の時期にしか咲いておらず、西武鉄道のガード下のその場所に白いタンポポを見つけると、ラッキーな気がして、なんだかうれしい気持ちになった。今、その場所はどうなっているだろう。

 桜ほど国民的に盛り上がる花ではなくとも、小さな遊びや、ほっとする気持ちを生み出してくれる小さな野花には、ささやかながら大きな価値がある。
 道端のスミレは見つけるとうれしくなるし、青いオオイヌノフグリ、ハコベ類の白い花、黄色いオニタビラコ、それからキュウリグサの小さな花も 、どれも小さくてとても魅力的である。
 そのような小さな花は、しゃがんでこどもの目線になるとよく見つかる。

 そうしたものが次第に失われていると思うとさみしいし、今のこどもたちにも、自然なかたちで野花にふれる機会があってほしいと思う。

ハコベ
オニタビラコ

 

道端に咲くノジスミレ

 見たり遊んだりするだけでなく、野花は味や香りを楽しむ存在でもある。
 とりわけ、蜜はこどもにとって大きな魅力である。

 大きなツツジの花蜜を吸った思い出のある人は少なくないだろう。(ただし、ツツジにはレンゲツツジという有毒の種類もたまにあるようで、種類がわからなければ吸わない方が良いようだ)
 小さなホトケノザという花の蜜も甘みがあるが、ほんのり甘みを感じる程度。それでもこどもにとっては魅力的な存在で、蜜が吸えると知ると、たちまちこの花を覚えてしまう。
 初夏に咲くスイカズラの花も、その名の通り蜜を吸える花である。金銀花とも呼ばれ、白と黄色の花は見た目にもきれいで、こどものころに蜜を吸った思い出から、私は今でも見つけるとうれしくなる。
 また、オドリコソウと いう花はホトケノザよりも大きく、蜜には強めの甘みを感じる。うちの庭にもたくさん咲くので、長男のお気に入りである。

 蜜は甘く、糖分が含まれ、あらゆる生命のエネルギー源でもあり、まさに生命の根源に迫る魅力がある。さらに、蜜がない花でも香りがあるものは多い。その香りを感じるだけでも、幸せな気持ちにさせられる。花を見つけるたびに、クンクンと嗅いでみて、良い香りを探すのも楽しい。
 味や香りは生命が生きていくために欠かせない感覚であり、人が花を魅力的に感じる理由として、実は大きな要素なのかもしれない。

スイカズラ
オドリコソウ

 

ホトケノザの花

 こどもはつくしを摘むことにも夢中になる。こどもといっしょにつくし採りに出かけると、あっという間に大量のつくしが集まる。採るのは楽しいし、食べておいしいので良いのだが、食べるために「はかま」を取るのにはとても骨が折れる。
 つくしは「ツクシ」という名の植物ではなく、スギナというシダ植物で、花が花粉を飛ばすようにスギナが胞子を飛ばすための器官「胞子茎」を、つくしと呼ぶ。植物学的には花ではないのだが、かつてつくしを土筆花(つづくしばな)や筆芽花(ふでつばな)と呼んでいた地域もあったというくらいなので、花とみなされていたのかもしれない。

 民俗学者の柳田国男(1875-1962)によれば、多くの草花の名にこどもの遊びが関係していて、つくしも例外ではない。つくしの名は船に水深を知らせる目印となる「澪標(みおつくし)」から来ているようだが、これはこどもの思いつきだろうと柳田は言う。
 また、カタツムリなどの生物もそうだが、昔は地域によって呼び名が多様にあったようだ。つくしを「ドコドコグサ」「ツギツギグサ」「ツギノコ」と呼ぶ地方もあり、それはつくしを使った「どこ継いだ」という遊びから来ているという。あるいは、つくしを「ヘビタバコ」や「キツネのタバコ」と呼ぶ村もあったそうで、こどもの想像力がうかがい知れて、おもしろい。

 野花の呼び名をたどってみても、きっとこどもは昔から、自然に近い存在なのだろうと思う。
 そして、そのような自然とこどもとの距離の近さを象徴するのが、春の野花なのかもしれない。

花の蜜を吸おうとするこども

 春の野花に惹かれるこども。
 その光景に、いつも春の訪れを感じる。


語り部一覧

ネイチャーライター /
野島智司さん
ネイチャーライター、作家、かたつむり見習い。
糸島市を拠点に、身近な自然をテーマにした個人プロジェクト「マイマイ計画」のほか、自然と子どもによりそう場を開く「小さな脱線研究所」を主宰。糸島のフリースクール「NPO法人産の森学舎」「おとなとこどもの学校テトコト」で授業を担当するほか、筑紫女学園大学非常勤講師も務める。著書に「カタツムリの謎」(誠文堂新光社)などがある。新刊も鋭意執筆中。

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