こども目線で自然と出会う
第7回:「素材を探求する」
私は若い頃、こどもと関わる活動が得意ではなく、むしろ苦手意識さえあった。
そんな学生時代、はっきりと記憶に残っている出来事がある。

その場は、こどもとおとながともに広い自然の中で遊び、楽しみながら活動をする場だった。
私も参加者の一人としてすごしているとき、ふと目に入ったセミの抜け殻を手に取った。
その様子を、そばにいた2~3歳の子がじーっと見つめていた。それに気づいた私は、セミの抜け殻を手渡した。私は、その子がセミの抜け殻に興味を持ってくれたことが、うれしかったのだ。
ところが、次の瞬間、予想外の行動を目にした。
その子はセミの抜け殻をギュッと握りつぶし、パリパリという音を立てて抜け殻が粉々になったのだ。
そして、その子はニッと笑った。
地上に、セミの抜け殻の破片だけが散らばった。

私はあっけにとられてしまった。
セミの抜け殻の造形のおもしろさ、ふしぎさに興味が惹かれるものだと思っていた。まさか握りつぶすとは夢にも思わなかった。
でも、その子の笑顔を見て気付いた。
抜け殻が手の中でつぶれる感触を、その子は楽しんでいたのだ。
それは、私が出会えていなかった、セミの抜け殻の別の側面の価値なのだった。

「握りつぶした」というのは私の主観で、その子にとっては「つかんだ」だけなのかもしれない。
手のひらでつかみ、力を込めることは、それが何かということを知るための、もっとも基本的なことかもしれない。
木を登るとき、道具をつかむとき、崖から滑り落ちないようにロープをつかむとき、あるいはおにぎりを握るとき。私たちは、つかんだり、にぎったりする。
そして、握った対象が何なのか、どのようなものなのかを理解していく。

話は変わるが、息子が生まれて間もない頃のこと。
小さな赤ん坊は白い布にくるまれ、おぼつかない目で、ただ明るい照明の方を見つめていた。あいまいに小さな手を動かし、私の指を置くとギュッと握りしめる。まだ、どこまでが自分で、どこからが外界なのか、その区別すらあいまいなようだった。
力を入れると自分の手が動くという事実にさえ、まだ気づいていないように見えた。
それから少しずつ自分という存在を知り、自分の身体が動かせることを知り、自分の外側にも世界があることを知っていったのだろう。
自分の身体の存在を知ってからは、きっと、外側にある世界を探索することが、生きることそのものだ。
あらゆる物に触れ、感触を感じることが、生きるということ。
ふれた物の使い道なんて、考えもしなかっただろう。

やがて、離乳食を食べ、つかみ食べをするようになった頃。
幼い息子は、食べ物を食べるというより、素材を感じることを楽しんでいるようだった。
ベチャベチャと手でかきまぜたり、たたいたりしながら、たまに口にも入れる。
そうして、食べ物と、食べ物じゃないものの特徴を知っていく。
それがまさに、素材を探求するということ。
素材を探求するということは、とても大切で、人間の根っこにある行為なのだ。
私はセミの抜け殻の独特なフォルムに目を奪われがちだったが、パリパリして、ちょっとチクチクした感触もまた、セミの抜け殻独特である。晴れた日と雨の日で比べても、感触が変わる。雨の日は、しっとりとしてやわらかい。
生きものであれば握りつぶすのはさすがに残酷すぎるが、その点、抜け殻というのは良い。

遊びの中には、しばしばこのような「素材探求」とでも言うべき場面が見られる。
こどもは、ティッシュペーパーをひたすら引き出してみたり、ぐちゃぐちゃに丸めてみたり、水につけてみたりする。
そのときは無目的というか、やりたいからやっているとしか言えない。
無目的だから無意味というわけではない。
むしろ無目的というのは、あらゆる目的に応用できる可能性を発見するということ。つまり、研究のようなものである。

一方、おとなは、世界を目で見るだけで満足して、ふれて素材を探求するところまでいかない。
実際に握り、つかみ、ふれてみると、想像とは異なる発見があるものである。
植物の葉にふれると、やわらかいもの、かたいもの、ふわふわしたもの、ざらざらしたものなど、さまざまな感覚の違いがあることにも気づく。その質感の違いから、細かい毛の有無だとか、剛毛の有無とか、形態の違いにも目が向くようになる。
ふれることは、感情に近いところに届くような気もしている。
たとえば、樹にふれてみると、見ているだけでは得られないものが得られる。樹への愛着が、深くなる。

素材の探求は、遊びのなかにしばしば見られる行為である。しかし一方、子育てや教育のなかで、素材の探求は軽視されがちである。
おとなはつい、おとな側の意図を持ち込んで、こどもに活動をやらせたがるものである。私がセミの抜け殻を渡したように。
こどもは素材そのもの、自然そのものを探求するなかで、未知の価値に出会う。
そこにきっと、新しい意味が生まれるのではないだろうか。
三ツ矢青空たすき編集部より:
大人になると、子供やペットが予想もつかない行動に出たとき、動揺したり、つい怒ったりしてしまうことがあるのではないでしょうか。
野島さんのまなざしはどこまでも「相手を理解しようとする」とする気持ちに満ちています。
好きか嫌いか、良いか悪いか、その判断を下す前に目の前で起きたことをシンプルに「観察」してみることは世界を広げるチャンスかもしれません。
「危ないからさわってはいけません」「ここにはのぼらないでください」そんな警告に満ちた今の世の中で、先入観も忖度もない子供の無垢な心がやりたがることを、見守る「間」を持てたら、
子どもの五感はもっともっと花開くのでしょう。
そしてまた大人も、汚れたり、笑われたりを気にせずに、思いっきり水遊び・泥遊びをしてみたいですね。大人と子供を分けたのも、常識と非常識を作ったのも、大人の方です。


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